※今日のお話は
山小屋に導かれる私①の続きです※
山小屋でアルバイトが決まった私。
上司にも相談が済み、私ちょっと浮かれてました。
山に行けるぞー!と。
でも一方で
それまで社畜のように働いていた私、
引き継ぎがめちゃくちゃ大変で……
いつもの仕事量プラス引き継ぎの激務で、
それでも私はちゃんと仕事をして山小屋にいくぞと自分にプレッシャーをかけすぎたのか、
山小屋に行く前に適応障害を発症してしまいます。
仕事中ひとりになったらふと気がついたら涙が流れたり、
仕事はまともに集中することもできず、要領激悪、
家に仕事を持って帰って寝る直前まで仕事をして、なんとなく不眠、
歯医者で指摘されたのですが、歯ぎしりを夜によくしていたせいで、歯肉炎に。
今振り返ればこんなに体は悲鳴をあげてたんだなぁと…
でもそんな自分に気づくこともできず、
自分をいたわることもできず、
山小屋で働けるんだから頑張らなきゃと自分にプレッシャーをかけ続け、
山小屋バイトまであと1ヶ月を切ったある日、
突然、耳が聞こえなくなりました。
朝起きたら片耳聞こえなかったんです。
その日は仕事を何とかして、仕事帰りに耳鼻科で突発性難聴の診断。
上司からは
「もう、このまま休んだら??」と。
引き継ぎできていないことが悔しくて、いえ働きますと言っていた私。
結局そのまま休職になったのですが。
休職が決まってからも、
- 晴れ晴れしく山小屋にいくプランが崩れたこと
- 仕事が突然なくなったことで自分のやることが突然なくなり、自分の価値が無くなったように感じたこと
自分でもよくわからないけど、とにかく悲しくて、悔しくて、2,3日は家で泣き続けました。
その間、自分には本当に仕事しかなかったんだなと痛感して、こんなに頑張ったはずなのに価値がない自分って…と自分を傷つけつづけました。
で、1週間くらい眠りまくりました。
当時は、
自分は鬱だと思っていたのですが、
職業柄精神科に自分が通うのはどうしても嫌で、
通わなくても、カウンセリングをしたらよくなると思っていました。
だから自分に自分でカウンセリングをつづけました。
自分が患者さんと対話するように、冷静になって、自分に色々聞き続けました。
適応障害だったとしたら、
ストレス(=仕事のプレッシャー)を除いてあげて
自分が好きなことをしていたら元気が出る
鬱だとしても、自分が好きなことをするのはいい効果あるはず
それが、その後考えた、私なりの結論でした。
早めに休職させてもらったおかげで
難聴は復活し、
山小屋にも予定通りアルバイトに行けました。
憧れの場所は、異空間でした。
ただ景色がいいというだけでなくて、
山の上にも、人間社会が存在するのだと、まず、感じました。
上下関係だとか、接待だとか、そういう普通の人間関係があって、不思議な感じがしました。
でも、そこにいる人はみんな基本穏やかで、時には怒ったり辛くなったり人間らしさはあるものの、自然体。
飾らなくていいし、得意も不得意もあってあたりまえ、今を楽しめたらそれでいいんじゃない?という空気感。
それが居心地良くて、私は今まで何を気にして生きてきたんだろうと、思いました。
それと、自己紹介をすることが難しくなっていた自分に気がつきました。
自分のすきなものがわからなかったんです。
前に自己カウンセリングで、すきなことやってれば大丈夫って結論に至ったはずなのに!
すきなこと、私、わかんないんだ!と。笑
自分より若い子たちが、あれがおもしろい、わたしはこれがすき、と楽しそうに話している姿が羨ましくなりました。
山以外にすきと語れるものが当時の私にはなかったから。
山の何がすきなのかもうまく表現できなかったから。
まずは、ほんと、わたしって仕事ばっかりだったんだな〜と、そんな自分を認めて、
わからないなら仕方ない、
山小屋にいる期間、休み時間に景色をみたり、本を読んだりしながら、自分探しをすることにしました。
こんなふうに頭の整理に時間をつかえて、日々癒しの景色に囲まれて、
もちろん山小屋の仕事が忙しい時期もあったのですが、
山小屋という環境の中で、自分のすきなものを、あ、そうだった!と、たくさん思い出し、
心も元気になっていった私。
そんな私と毎晩のように晩酌をしてくれたり、どんな自分も自分なんだし、まあいいんじゃない?とおおらかに受け入れてくれた人が、今お付き合いしている彼です。
山小屋に導かれる私③に続きます
現在は、松本市在住。
\ 北アルプスを眺めて暮らしています/
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